不戦・不浄の城 姫路城
mapuです。
いつも読んで頂きありがとうございます。
今日のアート 姫路城
明けましておめでとうございます!
ほぼ普段の日と変わらない元旦・・と思いきや、
階下に凧あげの子供たちが!
コロナにキャンプやアウトドアが流行ってるのと同じく、
凧あげも復活したのかな・・?
カンゲキ☆彡しました。
さて、
今日は新年にふさわしく、
兵庫県民が誇るユネスコ世界文化遺産であります
姫路城をご紹介したいと思います。
神戸から新快速で40分。
JR姫路駅から徒歩20分。
目抜き通りの終点としてどこからも美しいシンボル的な存在。
5年前の改築後は外国人観光客もあふれ混雑はなはだしかったですが、
現在はゆっくり見られます。
JR姫路駅の入り口にあるインフォメーションで予約したら、
ガイドさんが駅から城内まで無料で丁寧に説明してくれました。
音声ガイドはコチラ、スマホにインストールしてご利用ください→https://www.himejicastle.jp/map/map.html
場内の各ポイントに設置された看板のマークにスマホをかざすと侍が突如出現!
なんてことも。
<姫路城アクセス>
徳川家康の次女督姫(とくひめ)を妻とする池田照正により1609年建城。
天を刺すようにそびえる輝く天守閣。
慶長年間、城郭建築が最高潮に達した時期の最も完成された城であり、
その圧倒的な姿は白いサギが舞い立つように見えることから「白鷺城」とよばれます。
2015年まで約6年にわたる平成の大保存修理が行われました。
さ、姫路城のなかへ。。
La La Land - Full OST / Soundtrack (HQ)
お城は広大、テーマパーク。気分はサムライ。
菱の門 両柱の上の冠木に木彫りの菱の紋のあることから、この名前が付いています。
歴史に詳しくないワタシまでも一番興味を持ったのが、
姫路城は400年の歴史の中で、一度も戦として使われたこともなく、
近代の大戦でも戦火を免れた不戦・不浄の城ということです。
信じられますか?
このことから、非常に保存状態もよく、
美しくその姿を残しているたぐいまれなお城です。
左側が石打棚
お城の要塞としての機能性は、縄張(設計、構成、仕組み)のよしあしで決まります。姫路城の縄張は、抵抗(防御)線が3重の螺旋形になった複雑巧妙なもの。これは江戸城と姫路城にしか類例のない形式です。
引用:Wikipediaより
**天守閣からの眺め**
大天守
乾小天守 三小天守の1つで天守台の西北隅(乾の方角)に位置しています。ほかに「東」「西」小天守があり、3つの小天守の中では一番大きく、外観3層・内部は地下1階・地上4階の造りになっています。
引用:Wikipediaより
ルの櫓と
ヨの渡櫓 化粧櫓(やぐら)
にの門
西の門 門の文様までもが素晴らしい
姥ヶ石
西の丸長局(百間廊下)
ロの渡櫓
お菊井戸 播州皿屋敷のお菊が殺され投げ込まれた井戸と言われている。
城壁をよく見ると、
石垣の組み方があるところから全然違う!どうして??
1300年当時は小さな城で、後に戦国時代の武将黒田重隆が城郭として拡張。
その後、豊臣秀吉や数々の大名によって建て替えや拡張が行われ、
石垣にはその歴史が深く刻み込まれています。築かれた時代によって大きく5つの時期に分けられる。本多氏以降は城郭の増改修に幕府の許可が必要となったため補修が主になっている。
1期 - 羽柴氏時代、1580年(天正8年)-1582年(天正10年)に築かれた石垣で、二の丸に多く残る。野面積み。
2期 - 池田氏時代、1601年(慶長6年)-1609年(慶長14年)に築かれた石垣で、本丸に多く残る。打ち込み接ぎ、算木積み、扇の勾配。
3期 - 本多氏時代、1618年(元和4年頃)に築かれた石垣で、西の丸に多く残る。打ち込み接ぎ、算木積み。
4期 - 江戸時代、1867年(慶応3年)までに行われた三の丸など各所の補修。切り込み接ぎ。
5期 - 明治時代、1878年(明治7年)以降に行われた西の丸や三の丸(本城)などの補修。引用:Wikipediaより
さて、お城巡りが終了してまだ余裕があれば、隣接する「好古園」もいいですよ。
風光明媚で四季折々のお庭が楽しめます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今年も明るい未来を照らし出すアートたちをご紹介していきますので、
よろしくお願いします♡